皆さんは、「マイコンBASICマガジン」という雑誌をご存知でしょうか?
1982年から2003年まで続いた、マイコン(パソコンの昔の言い方)雑誌です。
電波新聞社という会社から出ていました。
それが2018年12月22日、「電子工作マガジン」の特別付録、「ラジオの製作」創刊65周年記念という形で復活しました。
アキバのBEEPで、HISTORY BOOKやバトル・オブ・ベーマガライターズも同時購入
速攻で購入して読み込んだので、レビューします。
どんな雑誌だったの?
この「マイコンBASICマガジン」、通称「ベーマガ」は、かつてパソコン好きのレジェンド的雑誌でした。
内容は、PCゲームやソフトウェア紹介、自作PCなど様々でしたが、一番のメインコンテンツは、読者の投稿プログラムでした。
それも、ソースコードを全部掲載し、そのゲームをやりたければすべて打ち込むべしという、かっこいいスタイル。
今回出た最新の「ベーマガ」も、プログラムがすべて掲載されている
ネット経由でのダウンロードが当たり前の現在では信じられませんが、当時は紙面で紹介されている面白そうな投稿ゲームをプレイしたくて、必死にプログラムを打ち込みました。
しかも、一度でうまくいくことはまれで、だいたいは「ようやく打ち込んだ! さあ実行!」とF5キーを押すと、無情なエラーが出ました。
その後は、バグ潰しの長い旅が始まります。
今のように恵まれたエディタはないため、エラーコードを頼りに、紙面とディスプレイをにらめっこです。
そんな苦労を経てようやく紙面に紹介されている通りのゲームが遊べるようになったときの感動はひとしおでした。
また、そんな試行錯誤の中で、PCやプログラミングの知識やノウハウが溜まっていくという、一石二鳥の効果もあったのです。
「休刊」、そして……
このベーマガ、筆者を含めたパソコン好きの少年少女たちにとって、毎月本当に楽しみな雑誌でした。
しかしその後、ネットの隆盛や、ホビー目的でのプログラミングの減少によって休刊してしまいました。
仕事でプログラミングをする人自体は増えたと思うのですが、現在のプログラミングというのは、専用の複雑なソフトウェアをインストールして行うものです。
当時は、PCを買って電源を入れたら、いきなりBASICのインタープリタが立ち上がるようなものだったので、パソコンで何かをやろうと思ったら基本自分でプログラムを打つものだったのです。
だから、ゲームをやりたければ、自分で書いていたのです。(もちろん市販ゲームもありましたが)
そして「はい、このマシンにこのプログラムを打ち込んで実行キーを押せば、このゲームができるよ」というシンプルな構造でした。
ブラックボックス化の進展
〜プログラミングとハードが乖離していった
その後のパソコンの流れをベーマガ的視点で見ると、「ブラックボックス化が進展していった」と言えるかと思います。
具体的に言えば、この流れが決定的になったのはWindows95以降でしょう。
どういうことかといいますと、今やソフトウェアが何をしているか、それがハードウェアとどうつながっているか、そもそもどんな仕組みで目の前のプログラムは動いているのか、というようなことは、ほとんどの人には分からなくなっています。
ソフトウェア開発者ですら、モダンなプログラミングは誰かの作ったライブラリを組み合わせて作るため、たとえば「ウィンドウにボタンを表示する」というプログラムを書いたとしても、ウィンドウやボタンはそもそもどこでどうやって制御されているのか、どうしてマウスで動かせるのか、そもそもマウスを動かしたらなんでポインタが動くのか、といったことは分からなくなっています。
これは大規模開発のためにはもちろんいいことで、いわゆる「車輪の再開発」をする必要がないのです。
誰もが、すでに構築されたWindowsやウェブエンジン、iOSなどの膨大なプログラムの蓄積の上に、部品を組み合わせるようにして様々なソフトやサービスを組み上げることができます。
これにより、開発の生産性は飛躍的に上がります。
プログラミングを勉強し始めてから一ヶ月もすれば、それを一から組んでいったら十年はかかるようなプログラムを簡単に作れるでしょう。
ただ、プログラマはそれと引き換えに、ハードウェアとのつながりを失いました。
マウスやキーボードを動かすと、なぜディスプレイにその表示が出るのか、わからないのです。(概念としては分かっても)
ベーマガが隆盛を誇っていた80年代〜90年代初頭頃は、まだ多くの場合、プログラミングとハードが一体化していました。
ベーマガの読者投稿プログラムは、PC-8801向け、X68000向けなどと、ハードごとに分かれていたのです。
ベーマガが出した「懐古主義ではない回答」とは
さて、前置きが異常に長くなってしまいましたが、このたびベーマガが復刊しました。
これは懐古主義なのでしょうか?
プログラミングとハードウェアがカプセル化によってとても遠くなってしまった時代に、ただ年寄りが昔を懐かしむためのものなのでしょうか?
復活したベーマガを読んで、「そうではない」ことがよく分かりました。
そうではなく、ベーマガは、新しい「ソフトとハードの再会とその興奮」を提供しようとしていました。
なぜか。
そう確信したのは、投稿プログラムの対応機種が「IchigoJam」と書かれていて、「IchigoJam」とは何かを遅ればせながら知ったためです。
IchigoJamとは?
IchigoJamは、BASICというプログラミング言語が動くワンボードコンピュータです。
ハンダゴテで、自分で組み立てられる1500円のコンピュータです。
Linuxが動くRaspberry Pi(ラズベリーパイ、通称「ラズパイ」)に似ていますが、IchigoJamは教育目的からIoTデバイスへと複雑化しているラズパイよりもシンプルで、ずっとソフトとハードが近いです。
IchigoJamは、Linuxのような複雑なシステムではなく、とてもシンプルなBASICで制御します。しかも違うパソコンからではなく、IchigoJamそのものにキーボードやテレビをつなげて開発します。
この距離感は、かつての黎明期のパソコンにとても近いと思います。
ベーマガは、このIchigoJam向けの投稿BASICプログラムを掲載しています。
これで遊べば、パソコンてなんだろう? という問いにグッと近づくことができるでしょう。
今回のベーマガにも、とても短い数行のコードで、驚くほど面白そうなゲームが掲載されています。
プログラミング教育の必修化などといわれますが、プログラミング言語の習得であれば意味がありません。
なぜならプログラミング言語は、毎年のように新しい言語が出てきて、数年で陳腐化するものだからです。
その教育は、コンピューターへの本質的な興味と理解が促進されるものでなくては意味がありません。
そういう意味で、IchigoJamとBASICの組み合わせというのは、この目的にもぴったりだと思います。
年寄りの懐古主義ではなく、子どもも大人も夢中になって遊べるコンピューターと、そのお供になるベーマガです。
IchigoJamは、野心を手助けするものであってほしい
かつて雑誌の投稿プログラムは、それが話題になればメーカーから声がかかったり、自分で会社化して販売することで、ひと儲けが狙えるものでした。
だからこそ、たくさんの野心ある才能が熱中しました。
学歴も勤め先も関係なく、面白いプログラムを作れるやつが一発逆転の大儲けを狙える世界でした。
今のウェブによく似ています。
IchigoJamも、子ども向けだけの保護されたキットにとどまらず、これを使ってすごいプログラムやハードを作れば儲けられるというような、夢につながるプラットフォームに成長していってほしいです。
おわりに
特別付録という形で、ページもとても薄くなっていますが、中身はまごうことなきベーマガでした。
また、今後も、復活の形を模索する、というニュアンスの前向きな説明が書かれていて嬉しかったです。
そしてIchigoJamとBASICという組み合わせで投稿プログラムを構成しているのを見て、大きな志を持って編集されているのだと分かりました。
ハードとソフトが分離し、それも時代の流れだから仕方ないと残念がっていても、すぐにそれを超えるような、IchigoJamのような新しく刺激的な試みが必ず始まる。
これこそが、コンピューターです。
僕たちが愛してやまないコンピューターなのだと、改めて思いました。
ちなみに
今回のベーマガの裏表紙は、イオシスの広告になっています。
イオシス中本社長の、ベーマガ愛が感じられるすばらしい広告でした。
おわり